まちの移り変わりと生活

さくら市は関東平野の北端、豊かな大地に栃木県第一の河川・鬼怒川が流れ、東には喜連川丘陵、そして荒川、内川、江川などがある。遠くを眺めれば、日光、高原、那須連山を望むことができ、他にはない絶景のロケーションを誇りとする地である。

古来、氏家は交通の要の地として発展し、古代・東山道、中世・奥大道、近世・奥州道中を通じて文物が交流し、阿久津河岸は鬼怒川を利用した舟運で、江戸と奥州を結んだ。一方で喜連川地区における足利氏の世系を引く喜連川家は格式高く、鎌倉公方の由緒を継承し、独自の文化を刻んできた。両町はそれぞれの地域で文化が醸成され、明治時代の近代化で人車鉄道などの利用、物資交流により経済交流も密になっていった。戦時中は学童疎開を両町で受け入れ、戦後は高度経済成長の中飛躍的な発展を遂げてきた。2005(平成17)年に氏家と喜連川が合併し「さくら市」となった今も地域文化は融合を続け、先人の偉業を受け継いで個性を発揮しながら発展している。

氏家市街地の旧国道四号線と上町四つ角 1965(昭和40)年ごろ
高原の山並みと鬼怒川、勝山城跡 1987(昭和62)年
勝山城跡から眺める鬼怒川 2017(平成29)年
氏家ゆうゆうパーク 2016(平成28)年
高原山麓に源がある荒川、内川が合流し喜びが連なる地・喜連川 2001(平成13)年
お丸山遠望 喜連川スカイタワー
桜並木のライトアップ 2002(平成14)年
早乙女の桜並木 1989(平成元)年
氏家駅 1960(昭和35)年ごろ
疾走する機関車(氏家駅)
1935(昭和10)年代
現在の瀧澤家住宅
瀧澤家住宅前の旧奥州街道と人車鉄道軌道
明治時代末期
瀧澤家住宅前の旧奥州街道と人車鉄道軌道
明治時代末期
喜連川市街地と喜連川人車鉄道 旧喜連川警察署(現街の駅本陣)付近より撮影 大正時代
喜連川市街地の喜連川人車鉄道のレール 大正時代
喜連川人車鉄道のトロッコ 大正時代
桜の街路樹と薬舗、理容店 大正時代
喜連川市街地の菓子舗 大正時代
お丸山から喜連川町中を望む 大正時代初期
現在の喜連川市街地
お丸山より望む喜連川市街地 戦後
宿場町の雰囲気を残す喜連川 明治時代
宿場町の雰囲気を残す街道筋 明治時代
内川で涼む 大正時代
喜連川の花街 大正時代
明治時代整備された陸羽国道
弥五郎坂 大正時代
桜並木が整備される以前の陸羽国道の早乙女坂
賑やかに初荷を運ぶ荷駄の列 明治時代
喜連川積石垣 1960(昭和35)年
上阿久津と下ケ橋を結ぶ鬼怒川仮橋 昭和時代
鬼怒川河畔で記念撮影 1955(昭和30)年代
上阿久津の橋と渡し船 1935(昭和10)年ごろ
勝山城跡の航空写真 1981(昭和56)年3月24日撮影
勝山城跡 天守閣様建物の解体工事
1983(昭和58)年