農業の景色

近代の地方は農業の世界においても地租改正をはじめ、改革が進められた。明治政府は富国強兵の一環として殖産興業を推し、それは農業においても例外ではなく、強制力を持った農事改革が行われていった。明治末期以降始まる耕地整理により米作地帯を拡大化させ、さらに人力による労働力は増加していく。家族単位の農耕から、農地の整理・整備によって村の共同体による農作業へと拡大し、新たなコミュニティーの民俗や風習を生んだ。人力から馬の動力、そして1955(昭和30)年代の高度経済成長による機械化など農村の約80年間は目まぐるしい改革と変化があった。機械化までは、老若男女年齢を問わない作業と、年齢と熟練がなす作業などを巧みに使い分けて米作りを続け村々を発展させてきたといえる。残された写真からはその時代の苦労と、それを乗り越えるだけの生き抜くエネルギーを感じる。

氏家 松山新田 耕地整理完成記念 1917(大正6)年ごろ
田起こし前の一コマ 田圃一面に広がるレンゲ 1935(昭和10)年代
葛城 正条植えの田植え風景 1941(昭和16)年6月
現在の氏家税務署の場所にあった氏家小学校での田植え実習 1923(大正12)年6月
共同育苗作業 1935(昭和10)年代
献穀御田植式 1940(昭和15)年
早乙女試作田 田植え記念
お田植え祭りで
野州田植唄保存会「野州苗取・田植唄」
(さくら市指定無形文化財)の披露 平成初期
ちょっと腹ごしらえ コジハン(農作業一休みの食事・小昼飯)1941(昭和16)年
牛に乗って遊ぶ 昭和時代前期
稲刈りにて
稲を乾燥させる天日干し(ガボシ)が長く続く
1957(昭和32)年
籾の俵詰作業 1955(昭和30)年代
有人ヘリコプターで農薬散布
1965(昭和40)年代
喜連川商報会員の熟田村稲刈奉仕班
昭和初期
喜連川北組煙草耕作婦人団
1945(昭和20)年5月3日
収穫祭
「日光苺」の箱詰め作業
1975(昭和50)年ごろ
ビニールハウスで「日光苺」の大規模栽培
1975(昭和50)年ごろ
隣近所、親戚総出の茅葺の屋根替え作業 1975(昭和50)年ごろ
葛城 茅葺屋根の農家母屋 1975(昭和50)年ごろ