足利義晴書状(義晴公御書)

(天文一八)(一五四九)年
差出 足利義晴
宛所 近衛稙家

将軍・足利義晴の斡旋あっせんにより、古河公方・足利晴氏は左兵衛督に昇進した。晴氏からの御礼受領を伝え、伝言を依頼した。近衛稙家は関白・太政大臣で、義晴、義輝二代の将軍の義父。


足利義晴書状

封紙
釈文

(封紙ウワ書)
「近衛殿  義晴」
左兵衛督進事、則令申沙汰候、次太刀一腰・馬一疋・大鷹一本号冬木到来候、自愛無他候、仍太刀一振并鞍橋一口丁子唐草蝶梨地、宜御演説可為本意候也、恐惶謹言、
卯月三日(天文一八年)    義晴(足利)(花押)
近衛(稙家)殿

読み下し文

左兵衛督昇進の事、則ち申し沙汰せしめ候、次いで太刀一腰・馬一疋・大鷹一本冬木と号す到来し候、自愛他無く候、仍て太刀一振并びに鞍橋一口丁子唐草蝶梨地、宜しく御演説本意たるべく候なり、恐惶謹言、