酒井忠辰書状(酒井能登守名乗不読之状)

江戸時代前期
差出 酒井忠辰
宛所 二階堂宮内、逸見主計、本間図書

喜連川家から酒井忠辰に「鮎鮓あゆずし」が送られた礼状で、喜連川名物「鮎鮓」は幕閣ばっかくへの進物に用いられたことがわかる。「喜連川文書」には近世の贈答ぞうとう儀礼ぎれいに関する文書も多く含まれている。


酒井忠辰書状
釈文

従 左兵衛督様御使者、
殊鮎鮓一桶拝受忝仕合奉存候、
此等之趣御序之刻可然様御取成憑入存候、
恐惶謹言、
         酒井能登守
 七月十六日      忠辰(花押)
 二階堂宮内殿
 逸見主計殿
 本間図書殿

読み下し文

(喜連川昭氏)
左兵衛督様より御使者、殊に鮎鮓あゆずし一桶拝受かたじけなき仕合せに存奉り候、此等これらの趣御序の刻、然るべき様御取成したのみ入り存じ候、恐惶謹言、