喜連川頼氏公帖(頼氏公寺法所務)

慶長八(一六〇三)年
差出 喜連川頼氏
宛所 西堂

禅興寺は鎌倉山ノ内にあった臨済宗りんざいしゅう寺院。開山は蘭渓道隆らんけいどうりゅう、開基は北条時宗。
頼氏が西堂を禅興寺ぜんこうじ住持職じゅうじしきに任じた公帖こうちょう(辞令)。室町時代、公帖の発給権はっきゅうけんは将軍にあったが、関東十刹と関八州の諸山については鎌倉公方が有していた。のち古河公方に、豊臣政権下ではさらに喜連川氏が継承した。


喜連川頼氏公帖

封紙
釈文

(包紙ウワ書)
「西堂 左馬頭頼氏」 禅興寺住持職事、任先例可被執務之状如件、
慶長八(一六〇三) 歳八月五日 左馬頭 (喜連川頼氏)(花押)
西堂

読み下し文

禅興寺住持職じゅうじしきの事、先例に任せ執務せらるべきの状くだんの如し、